「新編武蔵風土記稿」に、坦景寺は、「一向宗京師西本願寺末法林山ト號ス本尊彌陀ハ恵心僧都ノ作ナリ当寺ハ堀久太郎ノ嫡子順太郎後ニ佛門ニ入法體ヲ順覺ト號シ當寺ヲ開キシト云云」とある。
坦景寺の開祖の「順覺」は同風土記には、堀久太郎(信長の側近の堀秀政)の子で元和元年(1615)寂とあるが、正しくは、天和元年(1681)寂である。従って、坦景寺の開基は江戸時代初めの一六六〇年頃と思われる。
本堂は、第四代「全達」が延享二年(1745)に建立した木造建築で、今から二百七十年程前の建物である。この本堂は、古くは「寺子屋」として活用され、第二次世界大戦の折には東京から集団疎開した児童の宿泊所となった。
幸手市の現在は、観光バスが立ち寄る程の桜の名所だが、かつては日光街道の宿場町として栄えた地である。
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